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2011年10月22日 (土)

報道ステーションの「脳死での臓器提供…家族の思い」って特集を見て

何気に10/20にやってた報道ステーションの「脳死での臓器提供…家族の思い」って特集を見たんですけど、複雑な気持ちになった。

内容は臓器提供側家族に密着したドキュメントで、お母さんが倒れて一命は取り留めたものの脳死判定で「脳死」と判定され、臓器提供に関する本人の意思表示は無かったんだけど、生前のお母さんが臓器提供の話題の時に「使えるものなら使って欲しいよね」と話してた事で、家族が臓器提供の承諾をした流れでした。

今年の7月に提供臓器不足を解消するために臓器移植法が改正されて家族の承諾があれば臓器提供が可能になりました。

それが適用されたケースだったんですが、家族の決断って行為が非常に重い。

目の前の肉親の意識はもぅ戻らないし、既に脳死判定で死亡宣告を受けてる事は頭では分かってても無理矢理ながらも心臓は動いているし、体も温かい。

臓器摘出手術前、お母さんは家族の手で体をキレイにしてもらい、手術室へ入っていった。

そして臓器摘出手術から帰ってくると急速に体が冷たくなる。
その家族達はお母さんの手足をずっと握って失われる体温を感じてた。

それを見てて、人のためとは言え、決断した家族は自ら手を下してしまったよーな罪悪感を感じてしまわないか非常に気になった。
それをケアするために色んな人がフォローしてるんだろーけど、「失われる体温」ほど死を実感させる物は無いと思うので覚悟してても相当なショックなんだろーなって思う。

んで

  • 提供する臓器に提供側家族のメッセージが添えられる事。
  • 移植手術が終わって数ヵ月後に国からの感謝状と提供を受けた人からのメッセージを貰える事。

上の2点はこの特集を見て初めて知った。

提供側とそれを受ける側の関係は複雑な感情の上に成り立っているので、もっとドライに進むかと思ってたので意外だった。
流石に移植コーディネーターを経由してのやり取りだったけど。

と言うことで、寝る前に自分の健康保険証の裏にある臓器提供の意思表明欄に記入しときました。
ペン1本持ってチョイチョイと書くだけで、家族の決断に対する心理的負担を少しでも減らす事が出来るかもしんないなら、これほど費用対効果が高いのは他に無い訳だし・・・。

まぁ、そんな事になるとは無いだろうって、お気楽人間は根拠の無い妙な安心感に満たされちゃってますけどね。(^^;A

ちなみに7月の臓器移植法の改正には年齢制限も撤廃されたため、子供でも臓器提供が可能になりました。

小児移植は先天性の病気を克服するためのケースが多いと思いますし、未来への可能性に繋がる大変意義のある事だと思いますが、じゃ自分の子供が対象になったらと思うとなかなか割り切れませんね。
仮に死を受け入れたとしてもキレイなまま送ってやろうと思いそーだし、それでいて子供の一部が他の子供の体の中で生き続けてくれるなら、それが子供が生きた証のよーに思えたりするし、相反する思いがグルグル回って結論が出せるのか全く自信がありません。

あと、奥さんが・・・って思うと眼球はどーしよかなって思う。
摘出後に義眼を入れてくれるそーだし、まぶたは閉じてるし、他の人が光を取り戻せると思うと良いよーな気がするけど、顔の一部だけに躊躇しそうな気がする。

で、この特集のあとが「カダフィ大佐死亡」の速報でした。
同じ「死」を扱った内容ですが、血まみれの画像とか雰囲気が違いすぎて何だか妙な気分になったのでした・・・。

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